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法林院・・・

法林院の開祖は喝禅道和(1634年〜1707年)です。黄檗二代の木庵とともに来朝し、木庵在世中は常に丈侍として側に侍しました。
1669年(寛文9)、山内に法林院を建立。喝禅は五代将軍綱吉の生母桂昌院の帰依を受けます。書面にて禅要を問われることも間々あり、また毎年3回黄金、時服が贈られました。帰依を受けた期間、桂昌院が崩御するまでの30年下賜された黄金は末寺の援助に使われたということが法林院の古文書に記されたいます。

黄檗山塔頭・・・

「たっとう」とも読むが宗門では「たっちゅう」と読まれる。万福寺山内にあって開山のお弟子方の常在する寺院をいい、宿院(しゅくいん)とも言う。
 隠元禅師存命中に松隠堂(しょういんどう→)、東林院(とうりんいん→、最初、東林庵)、華蔵院(けぞういん)、漢松院(かんしょういん)、法苑院(ほうおんいん)、瑞光院(ずいこういん)、崇寿院(そうじゅいん、最初、景福院)、慈福院(じふくいん)、華厳院(けごんいん)、法林院(ほうりんいん)、宝善院(ほうぜんいん、最初、宝善庵(ほうぜんなん))、万松院(ばんしょういん)、宝蔵院(ほうぞういん)の13塔頭があった。
 この後、33院となった。(黄檗辞典より抜粋)

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