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法林閑話

黄檗山の静寂さを後世に

黄檗山内に住んでいる者にとって、黄檗宗の開山である隠元禅師をお祀りしている開山堂とそのお墓や晩年を過ごされた松隠堂等を御守りする「塔主=たっす」という役割があります。山内周辺にある塔頭寺院が一年交代でその役割を担っています。仕事としては、毎朝のお勤めと堂内周辺の掃除や毎月行われる開山忌などの準備であります。私は、この役割を三年ほど前に担当したことがあります。勤め人である私にとっては相当の負担であり、早朝のお勤めを終えて、仕事に出かけ、夜には開山堂の前扉を閉めるのです。(夕方五時頃には閉める)。私は、仕事の関係で夜の会議が多くその時は本当に悲劇です。夜中まで会議をして、帰ってくると頭の中はミシミシ云っている状態で、すぐに寝られず、寝不足のまま次の日の生活が始まるのです。この生活が一年間続くと思うといくら体力に自信があっても一寸心配でありました。そのような中、何か毎日楽しみを作ろうと開山堂の前に一風変わった陶器のテーブルと椅子を設置し、休憩場所にしてその上にノートを置いて参拝にこられた人たちに感想を書いてもらうようにしたのであります。最初の内はどの程度書いてもらえるか心配でしたが、意外にも多くの方が書いて下さり、毎日読むのが楽しみになったのであります。中には、中学生などの修学旅行生が少々ふざけたことを書いたりしていましたが、「久しぶりの夫婦で旅行に来て、静かな中、心が洗われました」、「昔に来ましたが、今回は孫と共にきました」また、「普茶料理がおいしかった」「魚梛=かいぱん=を叩いてみたかった」などの短い文章の中、参拝したことによって心が癒されたことや、思い出に残ったことを綴った文章がたくさんありました。
 ある日、この中に、本山の裏山にある少年院(反社会的なことをした少年を収容して矯正教育を受けるところ)に契機を終えた少年を迎えに来たお母さんの文書がありました。「少年院での生活が終わり、子どもを迎えに来て帰り道に立ち寄りました。山内を歩いている内に、やっと心を打ち明けて親子の会話ができました」。といった感謝の感謝の気持ちを現したものでありました。少年が反社会的な事件を起こしてしまった原因と、それを受け止めた家族の苦悩など多分話し合いながら、これからの人生のあり方について話し合うきっかけになったことを思うと心が熱くなってまいります。
 また、ある人は、これも裏山にある精神科の病院に通院に来て、その帰り道に立ち寄り、「仕事の関係で精神的に疲れてしまい通院帰りに立寄、静かな山内を歩いている内に心のもやもやが晴れて、明日から元気に仕事に行けそうです」と云ったことも書いてありました。
 このように、山内には静寂で、何か心を癒してくれる大きな力と禅宗寺院の持っている厳しい雰囲気が参拝に来た人たちに大きな影響力を与えているのであります。この清楚な雰囲気こそ大切であり、いつまでも守り続けたいものであります。
 お寺を護る伽藍神として寺院によって帝釈天や毘沙門天などいろいろありますが、黄檗では華光菩薩を伽藍堂にお祀りして山内を護ってもらっているのであります。この堂の入口の柱には、木庵禅師の聯がかけられてあります。

屏翰伽藍令徳聲揚四海
伽藍を屏翰して、令徳の聲、四海に揚がり

灌衛法護大功瑞煥無疆
法護を權衛して、大功瑞煥は疆無し

「伽藍を囲い、善徳の声は世界に広がり、仏法を守り、めでたい輝きのある大きな事業は限り無く広がるであろう」と黄檗の発展を期した意味であろうか、黄檗山の全体の雰囲気がいつまでも保たれ、多くの人たちにとって心の癒される場所として大切に守っていきたいものであります。

(法林院 住職)